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日本とイギリスの常識の違い

執筆者の写真: スカイスカイ

更新日:2021年8月2日






イギリスに暮らして、いつも感じることがあります。


それは・・・


横断歩道の渡り方の違い。


私を含め、日本人は概して、真面目で正しい。


どんなに見通しが良い道で、

車が来ないとわかっていても


信号が赤だと辛抱強く待っている。


それはなんら不思議もない、

むしろ当然守るべきルール。


信号の決まりに基づいた「正解」です。


近くに小さな子供がいればなおさら、

信号無視なんて、やってはいけない「不正解」。



一方、イギリスでは・・・?


信号無視は当たり前。



車の合間をぬって、

自分の目を頼りに道路を渡る。



青か赤かなんて見ていない人の方が多いかも。


信号ではなく、

車が来るか来ないかを見ているのです。



たとえそこにポリスがいたとしても、

とがめられることはない。


ポリスカーの合間をぬって

渡っていく人だっている。



自分の身は信号が守るのではなく、

自分が守る・・・。



信号のルールを無視したこの渡りかた。

イギリス人にとってはこれが「正解」なのでしょう。



明らかに車が来ないのに、

赤信号だからって渡らずに待っている、


そんな姿こそ彼らにとっては「不正解」

なのかもしれない・・・。





話は変わって・・・。



昔、息子の通うイギリスの学校で、

数学のテストの解答用紙を見て

驚いたことがありました。


複雑な応用問題。


息子は数学が大好き。暗算も大得意。

難しい応用問題も、頭の中で計算し、

見事に正解を導き出しました。


なのに、もらえたのは10点満点のうち、

たったの5点だけ。


なぜ?答えがあっているのに・・・?


おまけに、友達は

問題の途中までしか計算していなくて、

答えは不正解だったのに、7点ももらっている。

採点ミスではないですか?


尋ねた息子に先生は、こう言ったそうです。


「答えは当たっているけれど、

途中の計算式が抜けてるから満点はあげられない。


答えを出すだけではなく、

途中のプロセスも同じように大切なんだよ。」


・・・・。


自分がどういう考えで、その答えを導き出したのか。

息子が頭の中で暗算をしてしまった部分、つまり

自分がどんな考えに基づいて、

なぜその手段を採用したのか。

それを明確に表現することは、

答えを出すことと同じように重要だというのです。


はたと考えてしまった。

「正解」ってなんだろう?


もしかして「正解」っていうのは、

たった一つだけではなく、

たくさんたくさんあるのかもしれない。


あの人にとっての正解。

この人にとっての正解。


あの人にとっての常識。

この人にとっての常識。


あの人にとっての不正解は、

あの人にとっての非常識は、

この人にとっては正解や常識なのかもしれない。


そんなことをぼんやり考えながら、

明らかに車が来ない見晴らしのいい横断歩道を

今日は赤信号で渡ってみた。


ちょっとだけ、ドキドキしながら。




「正解」と「不正解」

「常識」と「非常識」

「幸運」と「不運」

「健康」と「不健康」

「豊かさ」と「乏しさ」


それらが敵対するのではなく、


お互いを気持ちよく受け入れられた時に、

新しい価値観が生み出されるのかもしれません。


太陽と雨が調和した時に

美しい七色に虹が生み出されるように。

 
 
 

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